先日、名古屋から豊橋まで東海道に沿って歩いてみました。その際に一里塚の写真を撮影しながら歩いていたのですが、後で調べたところ伝馬町一里塚の場所が間違っているかもしれないということを聞きました。そこでその真偽を調査した結果を記述します。
1. 背景知識
東海道の一里塚は江戸の日本橋から一里(約4km)ごとに築かれた塚で、道の両側に作った盛土にエノキやマツが植えられていたものです[1]。愛知県だと来迎寺一里塚の保存状態が良く、道の両側の盛土が今でも残っています。
2. 伝馬町一里塚の本当の場所はどこなのか
3. 古地図を現在の地図と重ね合わせる
幸い熱田神宮というかなり由緒正しい神社が近くにあったおかげで、このあたりの古地図はかなり多く残されているようです。閲覧しやすいものだと『名古屋市史 地図』に「熱田神領字入圖」が掲載されています[8]。これは文化元年(1804年)に作られたものを安政6年(1859年)に写したもののようです。築出鳥居の東に道の両側に木の絵が書かれており、これが一里塚だと思われます。その他にも『尾張国町村絵図』など多くの書籍でこの地域の地図は確認できるようです[9][11]。4. まとめ
[1] 熱田研究よもぎの会 編『史跡あつた』(1962) https://dl.ndl.go.jp/pid/2975735/1/31
[2] 東海道一里塚 東海道の一里塚 伝馬町里塚 でんま町一里塚 http://itirituka.rakuchu-rakugai.com/matome119/tuka84.html
[3] 東海道:伝馬町一里塚 http://hat.la.coocan.jp/data/tokaido/tokaido089.htm
[4] 明治天皇八町畷御野立所 | 明治天皇聖蹟巡り https://meiji.fromnara.com/2020/02/23/明治天皇八町畷御野立所
[5] ふらっと旧東海道/愛知県・熱田伝馬町一里塚 https://www.asahi-net.or.jp/~vn6i-hgwr/toukaidou/atsuta-denmatyou.htm
[6] 朝日新聞デジタル:街道こぼれ話)一里塚 - 愛知 - 地域 http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW20180731241640006.html
[7] 火高地古道(ひたかじのふるみち) : 尾張名所図会を巡る https://nitibotu.exblog.jp/9767000/
[8] 名古屋市 編『名古屋市史 地図』 https://dl.ndl.go.jp/pid/3449146/1/66
[9] レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000072751
[10] 基盤地図情報ダウンロードサービス https://fgd.gsi.go.jp/download/menu.php
[11] 徳川黎明会 編『尾張国町村絵図 名古屋市域編』(1988) https://www.library.city.nagoya.jp/licsxp-opac/WOpacTifTilListToTifTilDetailAction.do?urlNotFlag=1