2019年6月22日土曜日

さらざんまい10話視聴時点の感想・考察

概要

この一年イクニ監督の作品を見まくっていたので,同監督の新作『さらざんまい』を毎週見て,その時どう思ったか,どう考えたかを書いていきたいと思います.

なお,無印セラムン・ウテナ・ピンドラ・ユリ熊・この話までの『さらざんまい』のネタバレを含みます.またほとんど自分用のメモなので,スクショを貼ったりしていない文章のみになります.

感想

何が愛で何が欲望なのかわからなくなってきた.今までの作品の主張とさらざんまいの主張がだいぶ異なっている印象があって,何を一番伝えたいのかまだ全然見えてこない.

まず,自己犠牲をダセェと一蹴しているのが衝撃だった.ウテナからずっと描き続けてきた自己犠牲を否定するのは正気か?とおもったが,マブが先に旅立ち,「俺はどうすれば良いんだよぉ」と困惑するレオの姿を見ると言いたいことは伝わってきてこれもまた真か……となった.究極の愛を描こうという作品は多々あって,たとえば宝石の国なんかもそうなのだが,多くの作品で自己犠牲という形で描かれているとは思う.さらざんまいでは一度原点に立ち戻って「そもそも相手のことを本当に思っているのなら,これからも相手を支えたり助けたりするために,相手を悲しませないために自分も生きて,相手も生きる未来を選択するべきなのでは?」というのを示したかったのかなぁと推測している.もしくは単純に,自己犠牲以外の手段で相手を助けることができる状態で,カッコつけるために自己犠牲を選択するのはダセェというだけの話かもしれない.

マブの行動も解釈しにくい.マブは生きるためにレオと繋がる(愛していると伝え,死ぬ)か,レオと共に生きたい(嫌いだと伝え,共に生きる)かという2つの欲望のうち,後者を選んで生き続けてきた.しかし,最終的に前者の欲望を選び死ぬという構図は,繋がっていることのほうが生きていることよりも本当は大事だという主張に捉えられる.究極の愛の形が自己犠牲であるように,究極の繋がりというものは死をも超越するということだろうか.しかしその後レオは取り乱してしまい,「美しい繋がりですね」という美談では終わらない.共に生きることよりも,つながることを選んだ結果なのか,あるいは身勝手な欲望を満たそうとした報いなのかはわからない……

しかしマブが「今までもこの先もずっとお前を愛している」というセリフが悲しく辛いものであるにも関わらず,かっこよくて,美しいのはなぜだろう.自分の欲望を満たすための行動であり,愛を伝えたところで自分以外の誰かが救われるか微妙であるにもかかわらず,なぜ美しいと感じてしまったのだろうか.「愛を伝えると死ぬから愛を伝えられない」という与えられた運命にあらがう姿に心をうたれたのか……

今後の展開

もう放送されてAmazon Primeも更新されているので,すぐ見れるのであまり深くは考えない.ただ最後にハルカが「欲望か愛か選んだら繋がりが切れるんじゃないかと感じて怖かった」という話は今後の話にかかるものなのか,あるいは今までの話を言っているのかは気になってはいる.

今回はカパゾンビの欲望の認識をあんな形で使うとは思いもよらなかったし,きっと良いものが見れると期待している.

その他

作品というのは作者の中にある考えや信念を補強し,説得力のある形で皆に見せつけるものであって,宗教における経典みたいなものだと思っている.なので作者の主張が変わらなければ「また説得力を増したな」となるし,変われば「そういう見方もあったのか」となる.その上でその考えや信念を自分の中に入れるか入れないかを選択するのが読み手の役割なのかなぁと考えている.
次回が実は最終回らしいというのを実は小耳に挟んでしまっているのだが,この作品の主張をなるべく正確に読み取って,自分の中でうまく昇華させたいなぁ……