概要
この一年イクニ監督の作品を見まくっていたので,イクニ監督の新作『さらざんまい』を毎週見て,その時どう思ったか,どう考えたかを書いていきたいと思います.なお,無印セラムン・ウテナ・ピンドラ・ユリ熊・この話までの『さらざんまい』のネタバレを含みます.またほとんど自分用のメモなので,スクショを貼ったりしていない文章のみになります.
感想
カズキが笑った!!!!- ハルカを傷つけた経験からわざと家族・友人から遠ざかり,迷惑をかけないようにしていた
- それがきっとハルカのためになるからと思ってた
- しかしハルカからのメッセージや,捨てたミサンガを大切に持っていたハルカの行動を知る
- その結果,カズキは「カズキに笑ってほしい」というハルカの願いにようやく気づく
- それに気づいたカズキは今までの考えを捨て,エンタのパスを受け取り,ハルカを助ける
- 「新しい生き物になったみたいだ」と言わしめるほど心の束縛から開放されたカズキは笑って感謝を告げる
最高すぎんか?
もうこれでカズキの心は開放されたわけで,ハルカも嬉しいしみんな嬉しいしみんなハッピー!ハルカが歩けないままじゃんと思うかもしれないけれど,ハルカは自分の体よりカズキの笑顔を大事にしているので気にしないでしょう.でももしハルカが体を治すことを望めばカズキは喜んで手伝うでしょう.ハルカが助かった後にカズキは尻子玉を断ち切って事故をなかったことにできたのだが,そうしなかった.それはハルカが「カズキがいなくなって歩けること」よりも,「笑顔のカズキに車椅子を押してもらうこと」を望んでいることにカズキが気づいたからでしょう.すなわち,カズキは「愛する人の願いを叶えることが愛なのだ」というイクニ作品における愛の実践者となった訳です.
……という訳でハッピーエンドとなるかと思えば,まだ6話なんですよねぇ.やはり圧倒的成長の伸びしろを持っている(=欲望まみれの)エンタの成長を一番最後に持ってくるんじゃないでしょうか.ひょっとしたらレオもかもしれませんが……
考察・疑問点
イクニ作品における愛の変化?
少し考察・説明が足りないがメモ.いつもイクニ作品では「自己犠牲による愛」が究極の愛の形であるとして描かれてきた.しかし今回のさらざんまいでは,愛する人が自分の幸福を求めているとき,自己犠牲による愛は実践されなかった.これってピンドラで提示された愛を否定しうるものではないのか?
ピンドラをもう一度みないといけないが,カンバ・ショウマは自らの命を犠牲にすることで「普通に生きたい」という陽毬の願いを叶えた.しかし自己犠牲の愛は「3人で一緒に暮らしたい」という願いを無視することになる.事実,今回のさらざんまいは「カズキの笑顔を見たい」というハルカの願いを優先し,自己犠牲による愛の実践は行わなかった.
ピンドラではもう一緒に住むということはできないから,ああいう形で運命を乗り換えたのかもしれない.またカズキの自己犠牲は自己満足であるから却下されたという可能性もある.しかし,どちらにせよイクニ作品では「愛する人の願い」をより一層重要視するようになったのではないだろうか.「自己犠牲をすれば美しくなる」ということのアンチテーゼを示そうとしているのかもしれない.
両親の会話
父:カズキから連絡は?母:夕べエンタくんの家に泊まるって連絡が着たきり……
父:言われてみれば少し似ているかもな
母:だからだったのかもしれないわね
……?わからない.何に対して言ってるんだ?実はあの「実の母」は性転換したカズキの実の父親だとか?おじいちゃんの「お前の母親はだらしないおんなだった」というセリフを「カミングアウトした実の父を見捨てた」と考えるとありえなくもない……?
カッパは人類の見方なのか?
ケッピの行動は主人公3人を利用してカパゾンビの欲望エネルギーを集めていると見えなくもない.カッパもカワウソも欲望エネルギーを求めているのは同じなんだよな……伏線とか予想メモ
伏線と予想がごっちゃになってる- レオとマブが主人公たちに直接関わってくる
- カワウソ帝国のボスっぽいやつが裏切ったら死ぞと言ってるのでレオかマブは裏切って死ぬ
- レオはマブが好き,エンタはカズキが好き
- レオはOPで主人公3人と同列に扱われている
- チカイは何か裏でやっており決着がついたらトオイと住むと言っている
- トオイの女装カズキを見る目もまんざらじゃない
- ネズミに奪われたミサンガの行方
- 希望のサラの存在
- 尻子玉の移殖
- エンタは自分本位で動いてて,欲望の存在に近い
- サラはカッパ
- ケッピはカッパの王子で希望のサラを生み出せる唯一の存在でバレると殺される
- カズキの母親・父親
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