千年以上前からあったコライダーという概念(質礙)
人間は同じ概念を別の場所・時代で再発見することがままある。例えば文字という概念は古代メソポタミア文明で生まれたが、メソアメリカの文字はそれとは独立に発明されたと言われている。
文字という極めて重要な概念であれば独立した時代・地域で発見されてもそこまで驚きはしない。しかし、ゲームなどで使われる「衝突判定」あるいは「コライダー」という概念が千年以上前にあったというのは特筆すべき点であろう。その概念は仏教思想を語る上で生まれた「質礙(ぜつげ)」という概念である。中村元 著『広説 佛教語大辞典』からその言葉を引用する。
ぜつげ【質礙】
同一時に同一場所を占めえないこと。物体が特定の場所を占めて、他の物を入れないこと。或るものと他のものとの間に隔たりをつけること。一つの物が他の物をさまたげること。物質的な障りのあること。物質(色[S]rūpa)の特質→色〈『倶舎論』二巻一九オ〉〈『四教儀註』中下二八〉〈『正法眼蔵』物性[大]八二巻九五上〉中村元 著(2001)『広説 佛教語大辞典』東京書籍、中巻
引用者註: 原文では[S]は四角にS、[大]は丸に大である。
「同一時に同一場所を占めえないこと」というのは、いわば「二つのりんごが同じ場所に存在することはできない」という話である。当たり前過ぎて意識しない物質の性質であるが、これを概念として取り出して名前をつけていたというのは驚きである。仏教では「色(物質という言葉とほぼ同義)」について分析するということが行われていたようで、その過程で生まれた概念だろう。
その一見当たり前過ぎて役に立たないようにみえる概念は、物理ゲームエンジンなどを作る際に再発見された「コライダー」という概念と同じである。「コライダー」は3Dゲームのオブジェクトが他の物体にぶつかるか、ぶつからないかを決める性質である。3DゲームエンジンのUnityなどではコライダーを付与する/しないを選択することができ、コライダーが存在しないオブジェクトは他の物体と干渉しないため、床をすり抜けて落ち続けたり、壁を通り抜けたり、他のオブジェクトのなかにめり込んだりする。つまり、「同一時に同一場所を占め」ることができる。
「質礙」という言葉の初出についてはきちんと確認していないが、引用した中にある『倶舎論』は4世紀~5世紀頃に成立した文章であるらしく、千五百年以上も遡ることになる。私は仏教に関しては素人でありこれ以上詳しく語ることはできないが、物質の隠れた性質を精緻に分析した仏教・インド哲学の思慮深さには感服するばかりである。
『好色一代男』に見る愚かな概念
「質礙」には劣るが、現代にも受け継がれている、あるいは現代で再発見された概念を『好色一代男』を読んでいた際に見つけたので紹介する。その一つは「無間の鐘」である。つい最近刊行された光文社古典新訳文庫の『好色一代男』には次のように註釈がつけられている。
遠江国小夜の中山観音寺の鐘で、撞くと後世は無間地獄に落ちるが、現世は裕福になるといわれ、撞く者が絶えなかったので地中に埋められた
井原西鶴 著、中嶋隆 訳(2023)『好色一代男』光文社、光文社古典新訳文庫、P141
どこかで聞いたことがある概念だなと思って思い出したのは「5億年ボタン」という概念である。「5億年ボタン」はそのボタンを押すとボタンを押した本人は異次元空間に飛ばされて五億年を過ごし、その後記憶が消えた状態で元の世界に戻されてお金などが得られるというボタンである。つまりボタンを押した現実世界の人間は何も感じないが、実際には異次元空間でつらい生活を送ることになるというものである。どちらも自分は幸福になるが、感知できないどこかで不幸になるという点が同じである。初出は2001年の菅原そうたにより発表された短編マンガであるようだが、作者が「無間の鐘」を知っていたかどうかはわからない。しかし、この他の漫画や2chなどで繰り返しモチーフにされた(高校生の頃に読んだ「ベジータ、一瞬で5億年分の修行ができる空間があるんだ」という2chのスレは当時かなり面白く感じ、よく記憶に残っている)。
もうひとつ、少々猥談になるのだが、「契りの隔て板」というものも『好色一代男』で紹介されていた。同じく光文社古典新訳文庫の『好色一代男』から引用する。
『契りの隔て板』というのもあります。これは小座敷の片隅に、女が寝られるように化粧版を敷き、亀頭が通るぐらいの穴を穿っておきます。男が板の下で仰向けに寝られるように、一尺あまりの隙間を拵えておくのです。
井原西鶴 著、中嶋隆 訳(2023)『好色一代男』光文社、光文社古典新訳文庫、P144
これは英語圏ではグローリーホール(glory hole)、日本語ではラッキーホールなどと呼ばれているものである。グローリーホールあるいはラッキーホールは、男性の股間の高さに数センチの穴が開けられた仕切り板で、そこに陰部を挿し込んで仕切り板の向こう側にいる相手に奉仕させるというものである。「契りの隔て板」は男女が密会して情事にいたる方法のひとつとして紹介されており、特殊なプレイとして提供されていたわけではないようである。だが江戸時代の頃にあった概念が海の向こう側にもあるというのは面白い限りである。
この3つの概念はあまりインターネットで調べても紹介されているものが少なく、現代の概念と結びつけているような記述も見当たらなかったので紹介した。もしまたこういった古くからある「人を惹きつけるような概念」を見つけた場合はまた紹介したいとおもう.
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